2012年12月24日

Merry Christmas

 祝日振替休日のイブとなりました。

 本日ご出勤の皆様はお早いお帰りを。

 Christmas-Santa-Sleigh.png

 LCCは来春、日テレのドラマになるようです。

 ピーチ、ではなく CHERRY'S らしいです。

 チープ・フライト

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2012年12月03日

まだ視聴されてない方へ

 本日、旅行と関係ない話で恐縮です。

 今更ですが、つとに有名な、スティーブ・ジョブス氏のスピーチです。

 まだご覧になったことの無い方へ。

 ご存知の方も忙中、たまには心をリセットされると良いと思います。

 私は、時々立ち位置が怪しくなるとこれを見ます。

 YouTubeにて前編
 後編
 糸井重里氏が自身のHPで紹介した記事
 ほぼ日刊イトイ新聞
 
 記事を貼り付けました ↓

 日中YouTubeをご覧になれない方は是非ご自宅で。

************************
ニューヨークで生活していたとき、
通勤の途中に
アイポッドでよく聴いていたスピーチがある。
有名なスピーチのひとつに数えられているので、
触れたことがある人も少なくないだろう。

2005年6月、
アメリカのスタンフォード大学の卒業式でのことだ。
ゲストとして招かれたスティーブ・ジョブズが、
卒業生たちに向けて、
感動的なスピーチを行った。

スティーブ・ジョブズについては
もう説明する必要はないだろう。
大学を中退後、スティーブ・ウォズニアックとともに
20歳でアップル社を設立、
歴史を変える画期的な
パーソナル・コンピューターを開発した。
アップルのパソコンは何より美しいことで知られ、
クリエーターなどから熱狂的に支持され続けているほか、
最近ではアイポッド(iPod)や
アイフォン(iPhone)が世界的なヒットになるなど、
常に革新的な製品を世に送り出している。

スピーチの中でジョブズは、
彼自身が人生で経験した3つの出来事を語っていく。
最初は、彼の生い立ちと大学を中退したことが、
後の人生にどうつながっていったかという話だ。
未婚の母の子供として生まれたジョブズは、
すぐに養子に出される。
産みの親が養子に出す条件として提示したのが、
将来ジョブズを大学に通わせるというものだった。

子供が欲しかった育ての親はそれに同意し、
後に約束通りジョブズを大学に通わせる。
ところが彼は、大学に価値を見いだせず、
育ての親がなけなしの金を
学費につぎこむのに我慢できなくなった。
そして大学を中退。
ジョブズは大学を辞めたのは、
人生において“最良の選択”だったと語る。

その理由は、カリグラフィ
(アルファベットを美しく見せるための
様々な字体の研究)との出会いだった。
中退したことで、必須科目から解放され、
好きな授業だけ聴講することができたという。
授業でカリグラフィと出会ったことで、
美しいフォント機能を備えた
パソコンの開発につながっていく。

「もし私が大学を
 ドロップアウト(退学)してなかったら、
 あのカリグラフィのクラスには
 ドロップイン(寄り道)していなかった。
 そしてパソコンには
 今あるようなすばらしいフォントは
 搭載されることはなかっただろう。
 もちろん大学にいた頃の私には、
 まだそんな先のことまで考えて、
 点と点をつなげることなんてできなかった。

 でも10年たって振り返ってみると、
 はっきりとわかる。
 つまりこういうことだ。
 点と点を将来に向けてつなげていくことはできない。
 できるのは過去を振り返ってつなげることだけだ。
 だから今はただの点であっても、
 将来は何らかの形でつながっていくと
 信じなければならない。
 自分の根性でもいいし、
 運命、人生、カルマ(業)でも何でもいい。
 とにかく信じることだ。
 信じることで確信を持って歩んでいける。
 人生を変えることができるんだ」



アップル社を設立し
若くして億万長者になったジョブズは、
ある日突然、解任される。
これがスピーチのふたつ目の話だ。
自分で作った会社をどうやったらクビになるっていうんだ、
とジョブズは自嘲ぎみに語っている。
それは、ジョブズが雇った優秀な経営陣に
反旗を翻されるという、
まるで映画のような解任劇だった。

ジョブズはひどく落ち込むが、
じきにアップルをクビになったのは、
人生で“最良の出来事”だったと考え始める。
成功者であることの重みから解放されて、
ビギナーであることの軽さに変わる、
第1歩から新しいものを
生み出す喜びを感じるようになっていく。

それからジョブズは
「NeXT」というコンピューターの会社をたちあげ、
「ピクサー」というアニメーションの制作会社を
スタートさせる。
そこから、世界的なヒットとなった
アニメ映画「トイ・ストーリー」が生まれることになる。

「アップルをクビになっていなかったら、
 こうしたことは何ひとつ起きなかったと断言できる。
 それはひどく苦い薬だった。
 でも患者にはそれが必要なんだろう。
 人生では時にレンガで
 頭をぶん殴られるようなひどいことがおきる。
 だけど信念を放り出してはいけない。
 私がやってこられたのはただひとつ、
 私のやってきたことが好きだったからだ。
 君たちも好きなことを見つけなければならない。

 それは仕事でも恋愛でも同じこと。
 仕事は人生で大きなパートをしめるだろうけど、
 心から満足が得られるただひとつの方法は、
 自分が素晴らしいと信じる仕事をすることなんだ。
 そして素晴らしい仕事をするただひとつの方法は、
 自分の仕事を愛することだ。

 まだ好きなことが見つかっていないのなら、
 探し続ければいい。
 落ち着いてしまってはだめだ。
 心の問題と一緒で見つかったときにはピンとくるものだ。
 素晴らしい恋愛のように、
 年を重ねるほどよくなっていく。
 だから探し続けること。あきらめてはいけない」



スピーチの3つ目の話は、
ジョブズが死に直面したときの経験だ。
ジョブズには17歳のときから、
ひとつの日課があるという。
それは毎朝、鏡で自分に問いかけることだ。

「もしきょうが、人生最後の日だとしたら、
 きょうやる予定のことを自分は本当にやりたいだろうか」
それに対する答えがノーという日が続くと、
そろそろ何かを変える必要があることを悟るという。

「自分が死と隣り合わせであることを
 絶えず意識すること。
 これは私が人生で大きな決断をするときに
 最も大事な手がかりだった。
 なぜなら、ほとんど全てのこと、
 たとえば周囲からの期待、プライド、
 屈辱や失敗に対する恐怖、
 こういったものの全ては、
 死ねば消え去ってしまうだからだ。
 残るのは、本当に大事なことだけ。

 自分もいつか死ぬ、
 そのことを思えば、
 自分が何かを失ってしまうのではないか
 という思考に陥らずにすむ。
 あなたたちは素っ裸なんだ。
 自分の心の赴くままに
 生きてはならない理由など、何ひとつない」

ジョブズは2005年にすい臓ガンと診断され、
余命3ヶ月から6ヶ月と宣告される。
いったんは死を覚悟するものの、
結局、手術で直せるガンであることがわかり、
ジョブズは奇跡的に回復する。
死に近づいたことで、
彼は人生で大事なものをさらに確信する。

次のフレーズは、
このスピーチの中で私が最も好きなところだ。
「君たちの時間は限られている。
 だから他の誰かの人生を生きて
 時間を無駄にしてはダメだ。
 定説にとらわれるな。
 それは他の人々が考えた結果にすぎないからだ。
 自分自身の内なる声を、
 他人の意見によってかき乱されてはいけない。
 最も大事なのは、
 心の声、直感に従う勇気をもつことだ。
 内なる声、直感は君が本当になりたいものを、
 なぜだか知っているんだ。
 だからそれ以外のことは、すべて二の次でいいんだ」

マンハッタンで、仕事場からの行き帰りに、
毎日のようにこのスピーチを聴いた。
通勤途中の様々な人種の人々とすれ違いながら、
時にメトロポリタンオペラハウスに飾ってある
大きなシャガールの絵を眺めながら、
ある時はマイナス10度の寒さに
体を丸めて足を進めながら、
このスピーチを聴いた。

仕事で少々きついことがあったとき、
孤独を持て余したとき、
どう生きていけばいいのか先が見いだせないとき、
このスピーチを繰り返し聴いた。
そして自分の内なる声に耳をすませた。

スピーチの最後を、
ジョブズは次の言葉で締めくくった。
「Stay hungry. Stay foolish.
(ハングリーであれ。愚かであれ)
私は常に自分自身そうありたいと願ってきた。
今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、
それを願ってやまない。
Stay hungry. Stay foolish.
(ハングリーであれ。愚かであれ)」

このスピーチから5年、
わずか15分のジョブズの言葉は
今では世界で聴かれているという。
それはこのスピーチの中に、
生きることの本質とでも
言うべきものがこめられているからだろう。
私自身も4月から、仕事が変わる。
何があろうとも、
内なる声に耳をすますことだけは忘れまいと思う。

(終わり)


スタンフォード大学のウェブブサイト


YouTubeをのぞくと
翻訳つきで聴くことができます。


iTunesでは無料でこのスピーチを
ダウンロードすることもできます。

2010-03-03-WED

***********************

引用以上です。

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2012年11月13日

添乗の思い出−2

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 旅行会社人生、長く勤めていると誰しも、辞めたい・・・なんて凹んだ気持ちや、
もっと給料の良い仕事が無いか? と心揺れることがあるはずです。

 私も3度ほどそういう波にさらされ、その都度生還(辞めない)しました。今は
辞めてしまったので、最後の波には乗っかってしまったということですが。

 それはさておき、過去辛い想いをした時に、「やっぱりもう少し頑張ろう」と心
を支えてくれたのは添乗の経験が多かったように思います。

 勿論、組織であれば、一緒に頑張ってきている同僚や、後輩が居るから、という
意識にも随分引っ張ってもらいました。ここで、先輩、とは敢えて書きませんが、
自分は、あの先輩、上司が居るから・・・と言える方は幸せです。

 先に、添乗中に歌を暗記された、目の不自由なお客様の話をしましたが、あれとは
一味違う経験を久し振りに思い出しましたのでご紹介します。高校(男子校)の
修学旅行添乗の想い出です。

 今は学校により違うようですが、旅館、ホテルでの消灯後の館内見廻りがひとつの
仕事です。騒がず、早く寝なさい!と寝かしつけて、みんなが寝静まるのを待って
その日の添乗業務終了。共学校だと、男女の行き来が無い様、見張り業務も追加です。

 終わったら学年主任と生徒指導の先生とに「生徒さん就寝されました」と報告です。

 これは旅行会社の仕事ではない! 先生の仕事だ! と、見廻り業務を呑めない
社員がいます。中には、「いえ、我々の仕事ですから」と先生方が見廻りをされる学校
もありました。

 はっきり言って、見廻りをして、添乗中の睡眠時間が日に1〜2時間しか取れない
激務が修学旅行の添乗でした。今でもそうなのでしょうか?

 まあ、旅行会社としても、担当者としても、修学旅行一本獲得するのと落とすのでは
天国と地獄の差があります。地べたに這いつくばってでも頑張るしかありません。

 そんな中で、営業先の先生方は皆さんキーマンです。業者決定に皆一票づつお持ちです。
先生のおっしゃる事は何でも聞き、信頼を勝ち取るべく一年間(通常なら)セールスに
通います。そして添乗業務は来年度に向けてのセールス総仕上げの舞台です。

 見廻り反対組は、行き過ぎた営業行為のせいで、先生方が業者を業者としか見ない、
高飛車な態度を取らせる結果になる、と唱えていました。

 言いたいことは解ります。



 さて、ある男子校の修学旅行の添乗中のお話です。

 就寝時間から30分ほど時間を置き、いつもの見廻り開始です。

 廊下で耳をすませ、騒いでいる部屋に踏み込み、「寝なさい」の指導。

 確かに添乗員の仕事でもないな・・・と思いつつ。

 とある大部屋。部屋の定員を1.5畳に一人、という部屋割りをしていたのですが、
確か30名近く居た、大きな部屋でした。

 廊下から踏み込みを挟んだ奥の部屋がやたらうるさい、というか騒がしい気がしました。
部屋のドアを開け、踏み込みに上がると、消灯したはずの部屋のふすま越しに灯りが漏れ
ていました。

 全く・・・と思いながら、結構な勢いでふすまをガラッと開けました。「寝ろ!」と
言う為に大きく息を吸い込みながらです。 

 部屋の光景はこうです。

 寝巻き代りの体操服姿の30名近い生徒。畳も見えないくらい敷き詰められた布団。

 四面壁を背中に座り、全員が肩を組んでぐるっと大きな一つの輪になっていました。

 聞こえていたのは、彼らが声を抑えながら歌う「青春の詩」でした。

 何の歌だったか判りません。

 でもきっと、古い世代なら橋幸雄の「高校三年生」、今ならいきものがかりの「エール」。

 そんな歌でした。

 私は見てはいけないものを見てしまったような、恥ずかしさと申し訳なさを感じました。
思わず、「失礼!」とだけ残して部屋を出ました。


 今、大雑把に逆算すると、彼らは30代中盤くらいの立派な社会人の世代です。恐らく
彼らの多くが修学旅行の大部屋の事を覚えていて、折に触れて思い出しているのだろうな、
と期待します。

 永きに渡り、旅行業に携わった中で、諸般迷った時に、頑張ろう、という気にさせて
くれた経験のひとつです。

 だからどうだ、とは言いませんが、旅行業で働きながら、一生忘れないであろう様々な
瞬間に皆さんが出会い、それぞれが大切な財産となれば良いなと思います。

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2012年10月31日

添乗の思い出

 駆け出しのある時、今で言えばMICEの添乗で北海道に居ました。
日中戦争や太平洋戦争に出征し、身体の機能の一部を失った旧軍人の
方々の組織が全国大会を札幌で開催したものでした。

 全国から毎年開催地に数万人が集まった頃でした。集散にあたっては、
全国の旅行会社が交通、宿泊等の手配を請け負い、大会終了後には、その
後のエクスカーション(視察、懇親のオプショナルの旅行)で、更に添乗
業務は続きました。

 私は道東3泊4日のバスに同乗しました。大型バス6〜7台口でキャラ
バンを組んで、ひたすら1時間もの直線道路ひた走り、だったり、山越え
の峠で新鮮な牛乳を飲んだり、という1日400kmの長い行程です。

 お客様は当然高齢の方ばかり。ガイドさんの説明に耳を傾け、恐らくは
初めて見る、北の大地の風景や大自然に見入り、車内でお酒に酔う方も無
かったと記憶しています。

 今思えば、時間も、機会も、全てがひとつたりとも無駄に出来ない、
一時一刻を大切に心に刻まれていたのだと思います。戦争体験あるが故の、
時への向き合い方だったかもしれません。

 2日目か3日目だったと思います。バスガイドさんが各観光地や、地域
に因んだ説明をし、あるいは歌を唄いながら行程を進めていきます。

 バスの中で、最前列の方から順に、好きな歌を唄いましょう、という時間
の過ごし方を、確かガイドさんが提案し、皆それを受け入れました。一日
400kmというのはそれほど長い移動でした。

 前から順に、各自の十八番などを独唱(ア・カペラ)です。マイクは
あっても、カラオケは無い時代です。

 真ん中より少し前、前から4列目くらいにお座りだったと思います。
ご夫婦でご参加のお客様。ご主人が戦争で視力を失われていました。道中、
ずっと奥様が腕を組み、手を引いて観光されました。

 何も見えないので、風を感じ、空気を吸い、足を踏み締めて北海道を感
じ取る旅だったと思います。いつもにこやかで、大柄、背筋の伸びた豪放
な感じのご主人でした。

 このご主人にマイクが回ってくると、「私は、さっきバスガイドさんが
唄った歌を歌います」とおっしゃり、オホーツク海に差し掛かったときに
ガイドさんが披露された「オホーツクの海」を1番から4番まで、大きな
声で一気に唄い切られました。

 一度っきりしか聴いていない歌です。歌詞もメロディもそのままです。
今で言えば、瞬間完コピ。もう、びっくりです。ガイドさんもポカンとして
いました。あとの車内の拍手も覚えていません。

 私は、ガイドさんの歌も覚えておらず、お客様の歌がそのまま耳の奥に
残っています。

 自分は目が開いているだけなのかな、と。生や時間に対峙する姿勢の、
あまりの違いにショックを受けました。「心の目」とか「観る」という
言葉がありますが、例えばこういうことか、と若いなりに反省をしました。

 その組織も、会員の高齢化で来年には解散することが決まりました。

 歌は歌詞のみ検索でヒットしますが、You Tubeでは見つからず。
北海道の方はご存知でしょうね。道外の方も北海道に添乗や旅行をされる
機会があれば、ガイドさんかドライバーさんに尋ねてみましょう。

 旅行を通して教わったことのひとつでした。

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ラベル:添乗 北海道
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2012年10月19日

旅行業に英語は必要か?

 就職活動にしろ、自己啓発にしろ、旅行会社で働くには英語力が
必要なのかどうか、一言では説明がつきませんね。

 ユニクロ、楽天が社内公用語化の動きを見せる中、同調して
英語の能力を重視、若しくは強化することにした旅行会社はどれ程
あるのでしょうか?

 「エクセル男子」「ワード女子」「パワポ部長」が登場する
MOS(マイクロソフトオフィススペシャリスト)試験のCMを
ご存知でしょうか?英語堪能な女子社員が「私は英語の資格を生か
した仕事をしたいんです!」と言うあれ。
http://www.youtube.com/watch?v=mkT8AE8Ad4Q&feature=related

 同じ想いで旅行業に飛び込み、刀は錆び付く一方、という空しい
想いの方もいらっしゃるでしょう。片や、「英語?俺全然出来ないけど
部長やってるよ」という人も多いです。

 旅行会社の収益が国内と海外に分かれていて、海外でも、日本からの
発旅行は英語のスキルが無くとも困りません。

 これは、以下に英語が必要な旅行会社の仕事を仕分けしてみると気持ち
の整理、異動希望の目安が出来るかもしれません。

1.法人営業
 基本的に英語不要だが、外資系企業で担当者が英語圏の方、あるいは
企画書や契約書の英語表記を求められると、本人はアウト。誰か英語が
出来る社員が見つかればOK。

2.教育旅行営業
 英語不要。海外修学旅行も、和訳が必要な資料もオペレーターに頼んで
作ってもらう。添乗も現地ガイド任せ。インターナショナルスクールの営業
担当者は必要。

3.店頭営業
 外国人の来店がほぼ無いお店は不要。たまにある場合はお店に一人英語
の解る人が必要。

4.電話販売
 センターに一人くらい居ると安心。電話での会話は結構苦手な人が多い。

5.代理店、提携販売店営業
 不要。

6.国内地上、航空仕入れ、手配
 不要。

7.海外地上、航空仕入れ、手配
 海外地上費の見積もりを読む英語力は必要。範囲は限られる。航空は
手配担当者がGDSの運賃規則を読める必要あり。これも語句は限られる。
海外のホテルGMや航空会社のディレクタ−がセールスコールに来た場合、
簡単な挨拶が必要な程度。いずれも英語での交渉事は、元々先方が期待
していない。

8.ホールセラー
 国内担当は不要。海外担当はサプライヤーと食事やパーティで長時間
過ごす機会が、ままあるので日常英会話程度は必要。

9.クルーズ
 販売担当者は外航のファクト・シートを読める必要はある。仕入れ、
造成担当者は一定の英語力での読み書きと、まれに船のマネージャーと
衛星通話をすることがあるので会話も必要。

10.MICE営業
 国際会議、国際見本市の胴元を受ける場合は読み書き、会話とも要。
国内系は不要。

11.公務営業
 不要。通訳、翻訳は先方がセットアップ済。

12.インバウンド
 マスト。

13.海外駐在
 マスト。

14.専任ツアーコンダクター
 海外担当はマスト。

 また長くなりましたが、概ねこんな感じでしょうか。

 旅行業は、国際業務を扱う場合は英語力が必要で、それ以外はあまり
求められない、というより発揮する機会が意外と少ないように思います。

 よって、ユニクロ、楽天に追随することは無く、焦って妙な基準や
目標TOEICスコアなどを設定すると、絵に描いた餅になります。

 ただ、英語能力の有無、要否は、使用機会の多寡に関わらず、日本人
としてのビジネス素養、グローバルな国際交流における教養ととらえる
べきです。企業の構成員の厚みでもあります。

 特に旅行会社は、人々の交流、文化の発信で社会に貢献するという、
高邁なミッションを胸に抱いて良いと思います。

 よく言われる、「能」や「歌舞伎」のことを英語で説明できますか?
というレベル。まず自国のことからですかね・・・。

 ともあれ、英語を生かせていない、と感じている諸氏も、引き続き
スキルを磨くのが良いと思います。他国言語の習得は、視野も広くします。

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